長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-206.天罰(改訂決定稿)

 ミャーク(宮古島)の船が無事にミャークに着いたあと、ミャークの沖を台風が通過して北上して行った。
 ユンヌ姫は琉球に帰ると、サハチ(中山王世子、島添大里按司)にミャークの船の無事の帰島と台風が近づいている事を知らせた。サハチは山南王(さんなんおう)の他魯毎(たるむい)にも知らせて台風に備えさせた。直撃する事はなく、久米島(くみじま)沖を通って行ったので、大した被害は出なかった。それでも、雨と風は強く、浮島(那覇)の『天使館』に滞在している冊封使(さっぷーし)たちは真っ青な顔をして、明国の神様に無事を祈っていたという。
 ユンヌ姫は鬼界島(ききゃじま)(喜界島)に行って、娘のキキャ姫に台風の事を教えた。
奄美大島(あまみうふしま)を直撃するかもしれないわよ」とユンヌ姫が言うと、
「面白くなってきたわ」とキキャ姫は楽しそうに笑った。
 メイヤ姫はドゥナン島(与那国島)の人たちが無事にドゥナン島に帰るのを見守ると言ってミャークに残ったが、アカナ姫はユンヌ姫と一緒に戻って来ていた。
「今、湧川大主(わくがーうふぬし)の船は赤木名(はっきな)にいるのよ。きっと、台風が湧川大主の船を座礁させてくれるわ」とキキャ姫は言った。
「そううまく行けばいいけどね」とユンヌ姫が笑うと、
「いい方法があるわ」とアカナ姫が言った。
「佐田大人(さーたうふんど)に使った手よ」
「台風の風を船に集中させるの?」とユンヌ姫が聞いた。
 アカナ姫は笑って、「あの時は、あなたに会ったばかりだったから、ちょっと自慢げに言ったの。あたしにそんな力はないわよ。本当はね」と言って、佐田大人の船を破壊した方法を教えた。
「それはいい考えよ。さっそく、ミキに教えて準備させるわ」
 キキャ姫は島ヌルのミキの所に飛んで行った。


 四月の敗戦の時、四十人もの戦死者を出してしまった湧川大主は悔しがって、マジニ(前浦添ヌル)が止めるのも聞かずに、やけ酒を食らった。こんな惨めな敗戦は初めてだった。このままでは兄の山北王(さんほくおう)に顔向けができなかった。
 湧川大主が打ちのめされている間にも敵の攻撃は続いていて、密かに奄美大島に渡って来た敵は山北王の船に穴を開けた。小さな穴なのですぐに修繕できるが、昼も夜も見張りを付けなければならなかった。敵にやられっぱなしでは味方の士気が落ちてしまう。湧川大主は梅雨が明けるまで赤木名に移動して、作戦を立て直そうと考えた。
 赤木名に移った湧川大主は近在の若者たちを鍛えて兵の補充をして、山北王にも援軍を依頼した。城下の屋敷でマジニと一緒に暮らして、敗戦時の心の傷も癒えていった。マジニが若ヌルに何と説明したのか知らないが、若ヌルも湧川大主に対して親しみを持って接するようになっていた。若ヌルの可愛い笑顔を見ると、琉球にいる娘たちを思い出した。
 湧川大主には六人の娘がいた。長女のランは勢理客(じっちゃく)の若ヌル、次女のユリは志慶真大主(しじまうふぬし)の次男に嫁ぎ、三女のチルーは十五歳、四女のカミーは十四歳、五女のユイは十二歳、六女のトゥミは九歳で、それぞれ、母親と一緒に暮らしていた。
 妻のミキが亡くなってからは、名護(なぐ)にいた側室のマチが今帰仁(なきじん)の屋敷に来て、三女のチルーと一緒に暮らしている。六女の下に、やっと生まれた長男が羽地にいた。長男のミンジはまだ六歳で、十年後に一緒に戦(いくさ)に出るのが楽しみだった。
 五月の八日、梅雨は明けたが、その頃より琉球に来ていたヤマトゥ(日本)の船が続々と帰って行った。戦の邪魔になるので、ヤマトゥの船が引き上げるのを待った。
 二度目の総攻撃を仕掛けるかと思ったが、どう考えても兵力が足りなかった。このまま攻めても前回の二の舞を踏みそうだ。湧川大主は焦らず、援軍が来るのを待った。
 戦が終わったら一緒に今帰仁に帰ろうと湧川大主はマジニに言った。喜んでうなづくだろうと思っていたのに、マジニは快くうなづいてはくれなかった。
「どうして、鬼界島を攻めるのですか。鬼界島はわたしの御先祖様の島なのですよ。徳之島(とぅくぬしま)と奄美大島を攻めたのは、ヤマトゥに行く航路上にあったからでしょう。でも、鬼界島は違うわ。鬼界島を攻め取る必要があるのですか」
 マジニにそう言われて、確かにそうだと湧川大主も思った。どうして、鬼界島を攻める事になったのか、湧川大主は思い出してみた。
 山北王は初めから奄美大島の次は鬼界島だと言っていた。志慶真の長老から鬼界島には平家の落ち武者が逃げて行ったと聞いていて、同族がいるのなら山北王の領地にして、倭寇(わこう)から守らなければならないと言った。その時の山北王は力尽くで攻めるのではなく、話し合いをしてから、その後の対策を考えようとしていたのかもしれない。
 本部(むとぅぶ)のテーラー(瀬底大主)が奄美大島を平定して帰って来た時のお祝いの宴(うたげ)で、叔父の前与論按司(ゆんぬあじ)が鬼界島攻めはわしに任せてくれと言った。成功した暁(あかつき)には鬼界按司に任命するようにと約束をして、翌年、以前の配下と山北王が付けた兵を率いて出陣して行った。その時、誰もが年末には鬼界島の者たちを連れて凱旋(がいせん)して来るだろうと思っていた。ところが、前与論按司は半数の兵を失って、進貢船(しんくんしん)まで破損して帰って来た。
 戦死した者の中に今帰仁のサムレー大将の備瀬大主(びしうふぬし)がいた。山北王と湧川大主の幼馴染みだった。テーラーと同じように山北王が最も信頼していた男だった。山北王は備瀬大主の戦死を悲しみ、絶対に敵(かたき)を討ってやると誓った。その後の鬼界島攻めは備瀬大主の弔(とむら)い合戦に変わってしまった。
 前与論按司が攻める前に、御所殿(ぐすどぅん)(阿多源八)と話し合いをしたのかも確認してはいない。きっと、敵が簡単に降伏してしまったら、以前の領主がそのまま按司になってしまい、自分が按司になれないと思って、話し合いなどせずに攻め込んだのだろう。備瀬大主は反対したのかもしれないが、総大将の前与論按司に逆らう事はできずに戦死してしまったに違いない。
「前与論按司に任せたのが失敗だった」と湧川大主は言った。
「俺が行くべきだった。そうすればお互いに、こんなにも戦死者は出さずに済んだだろう」
「やめる事はできないのですか」
「今となっては無理だ。兄貴は皆殺しにしてでも鬼界島を奪い取れと言っているからな」
「皆殺しだなんて‥‥‥」
 マジニは信じられないと言った顔で首を振った。湧川大主の横顔を見つめながら、『ハッキナ姫』が言った言葉を思い出していた。
「あなたが湧川大主を殺せば、何もかもうまくいくわ。殺したあと、鬼界島まで逃がしてあげるわよ。鬼界島の人たちは喜んで、あなたを迎え入れるでしょう。御所殿もミキもあなたが帰って来るのを待っているわよ」
 そんな事はできないと言うように、マジニはまた首を振った。
「わたしが鬼界島に行って、御所殿と会ってきます」とマジニは言った。
「何だって?」
「御所殿と会って、うまい解決策を見つけてきます」
「だめだ。捕まりに行くようなものだ。お前を人質に取って、引き上げろと言うに決まっている」
「大丈夫ですよ。ミキさんはわたしが鬼界島の一族だって知っているわ。わたしを捕まえたりはしないと思うわ」
「考えが甘いよ。ミキは俺とお前の関係を知っている。お前を利用するに決まっている。お前を殺すと脅すに違いない。殺されたくなかったら攻撃をやめろと言うに違いない。お前を鬼界島に行かせはしない」
 湧川大主に猛反対されて、マジニは諦めた。
 六月十日、鬼界島の船がヤマトゥに向かったと知らせが入った。追いかけて行って、途中で沈没させたいが、冬になるまで戻って来られなくなるのでできなかった。敵の兵力が五十人は減っただろう。鬼界島を占領したあと、ヤマトゥから戻って来る船を待ち構えればいい。援軍を引き連れて来たとしても、二百の兵で守っていれば大丈夫だろう。前回のように、島の若者百人を鍛えれば万全だ。
 六月二十四日、待っていた援軍が万屋(まにや)に到着した。今帰仁のサムレー大将、具志堅大主(ぐしきんうふぬし)と謝花大主(じゃふぁなうふぬし)、羽地(はにじ)のサムレー大将の我部祖河之子(がぶしかぬしぃ)、名護のサムレー大将の伊差川之子(いじゃしきゃぬしぃ)がそれぞれ五十人の兵を連れて、四隻の船でやって来た。
 湧川大主、諸喜田大主(しくーじゃうふぬし)、根謝銘大主(いんじゃみうふぬし)は陸路で万屋に向かい、四人を出迎えた。
 鬼界島のウミンチュ(漁師)が船に穴を開けに来るから気を付けろと注意をして、七人で作戦を練った。
 七隻の船と四百の兵で攻めれば、今度こそは必ず勝てると士気も上がって、前祝いの酒まで飲んで勝利に酔った。
 偵察を送って敵の状況を調べ、赤木名から船を移動して、五日後の早朝、二度目の総攻撃を開始した。敵も恐れたのか、船に穴を開けには来なかった。
 根謝銘大主が前回と同じく小野津(うぬつ)を攻め、前回、諸喜田大主が攻めた瀬玉泊(したまどぅまい)(早町)を謝花大主が攻める。前回は攻めなかった沖名泊(うきなーどぅまい)(志戸桶)を我部祖河之子と伊差川之子の二隻で攻め、敵の船が隠れているという浦原(うらばる)を諸喜田大主と具志堅大主の二隻で攻める。浦原は岩場に囲まれた入り江で、奥の方に砂浜があり、小舟(さぶに)に乗って上陸できれば、そこから御所殿の屋敷は近かった。湧川大主は前回と同じく湾泊(わんどぅまい)を攻め、鉄炮(てっぽう)(大砲)の合図で総攻撃を開始する手筈になっていた。
 浦原には船はなかった。前回もそうだった。瀬玉泊に敵の船があると聞いて行ったが、すでになかった。まるで、敵はこちらの動きを知っているかのようだった。しかし、敵兵の姿は見当たらなかった。
 鉄炮の合図が鳴り響いた。諸喜田大主と具志堅大主は攻撃開始を命じて、下ろされた小舟に乗って楯(たて)を構えた兵たちが奥の砂浜を目指した。小舟が次々に行くが、岩場の上から弓矢が飛んで来る事もなかった。
 最後に諸喜田大主と具志堅大主も上陸して、砂浜の先にある草むらを眺めた。ウミンチュの家が数軒あるだけで敵兵の姿は見えなかった。右側に見える丘の上に御所殿の屋敷がある。高さは四十丈(じょう)(約百二十メートル)はありそうだ。急斜面に木が生い茂っていて、所々に岩場の崖もあった。その丘が浦原の所でへこんでいて左側にも丘が続いている。丘の上に出るには正面に見える細い坂道を登るしかなかった。
「罠(わな)があるから気をつけろ!」と叫んで、諸喜田大主は兵たちを進軍させた。
「敵はわしらがここから上陸するとは思ってもいないじゃろう」と具志堅大主が笑った。
「いや、充分に気を付けた方がいい」と諸喜田大主は警戒した。
 先頭を行く仲尾之子(なこーぬしぃ)が、「落とし穴があります」と叫んだ。
 棒を突きながら進んでいた仲尾之子が大きな落とし穴を見つけた。細い竹をいくつも渡して、その上に草を撒いて偽装していた。坂道を駆け上っていたら数人が落ちて、穴の中にある竹槍に串刺しにされていただろう。
 落とし穴をよけて進むと、また大きな落とし穴があった。その先は左右を崖に挟まれた狭い所で、仲尾之子は崖の上を見上げて危険を感じた。その時、何かが飛んで来る音が聞こえた。仲尾之子は咄嗟(とっさ)に持っていた楯を頭上に掲げた。
 誰かが悲鳴を上げて倒れた。倒れた所が落とし穴の中で、絶叫が響き渡った。
 崖の上から落ちてきたのは石だった。拳大(こぶしだい)の石が次々に打ち込まれ、先頭にいた兵たちは混乱状態に陥って後退した。後退するといっても細い道を一列になって進んでいるので、簡単には引き返せない。押し合って落とし穴に落ちる者が続出した。
 何とか細い坂道から退却すると、安心する間もなく、崖の上から弓矢が飛んで来た。弓矢の届かない所まで退却して陣を整えて、戦死者を数えた。諸喜田大主の配下が三人、具志堅大主の配下が四人戦死していた。
「あの道を行くのは危険じゃ」と諸喜田大主は言った。
「敵を甘く見たようじゃ」と具志堅大主が厳しい顔で言った。
「敵はあちこちに分散して守りを固めている。ここにいる兵は二、三十といった所じゃろう。二手に分かれて敵兵をさらに分散させれば、突破できる」と諸喜田大主は言って、左右を見た。
 どちらも丘の下の低地が続いていた。どこかに丘の上に登る道があるはずだった。
「わしがこっちに行こう」と具志堅大主が右側を示した。
 諸喜田大主はうなづいた。
「御所殿の屋敷で会おう」と言って、二人は兵を率いて左右に分かれた。
 右も左も草茫々(ぼうぼう)の荒れ地が続き、草の中に敵が隠れている可能性があった。鉄炮の音が鳴り響く中、敵の罠に気を付けながら進んで行った両隊は、ほぼ同じ頃、敵の攻撃を受けた。
 草むらの中から弓矢が飛んで来て数人が倒れた。楯を構えて弓矢を防いでいると左右から石が飛んで来た。石が頭に当たって何人かが倒れた。
「敵は少数だ。恐れずに進め!」と具志堅大主が叫んだ。
 その場を強引に突破すると弓矢も石も飛んで来なくなった。左側に丘の上へと続く細い道が見えた。落とし穴があり、左右から弓矢と石が飛んで来て先には進めなかった。
 諸喜田大主の方も同じだった。途中の弓矢と石の攻撃を突破して、丘の上に出る道を見つけても、左右からの攻撃を受けて、先には進めなかった。強引に進めば半数以上の戦死者を出してしまう。諸喜田大主も具志堅大主も諦めて、上陸した地点に戻った。
「敵は思っていたより多いぞ」と具志堅大主が言った。
「確かにな」と諸喜田大主はうなづいた。
 諸喜田大主は七人の戦死者を出し、具志堅大主は十一人の戦死者を出していた。落とし穴におちて亡くなった者たちを回収する事はできなかった。
 すでに、鉄炮の音は聞こえなかった。湧川大主も湾泊に上陸したのに違いない。
「ここから丘の上に登るのは無理じゃ」と具志堅大主が言った。
 諸喜田大主はうなづいて、撤収を命じた。兵たちは小舟に乗って船に戻った。船は無事だった。前回のように穴を開けられる事もなく、瀬玉泊を目指した。
 海上から丘の上を見ると見張り小屋のような物があちこちにあるのが見えた。敵はあそこから、こちらの動きを見ていたに違いなかった。
 瀬玉泊には謝花大主の船はなかった。謝花大主もここからの上陸は諦めて、別の所に行ったらしい。
 沖名泊に行くと三隻の船が泊まっていた。謝花大主もここに加わったようだ。ここには丘へと登る段差はなかった。ここから上陸できれば、御所殿の屋敷までの距離はあるが、一気に攻め込む事ができる。諸喜田大主と具志堅大主は小舟を下ろして兵たちを上陸させた。
 浜辺には大勢の戦死者がいた。ざっと見た所、三十人はいそうだ。重傷を負ってうめいている者もいる。何があったのかと諸喜田大主は我部祖河之子に聞いた。
「敵の落とし穴にやられました」と我部祖河之子は悔しそうに言った。
「落とし穴には気を付けろと言っただろう」
「それが単純な落とし穴ではないのです」
 そう言って我部祖河之子は右の方に見えるこんもりとした森を示して、今度は左にある森を示して、「右の森から左の森までの間、ずっと堀のような落とし穴があるのです」
「何だと?」と驚きながら諸喜田大主は前方を見た。距離にして三丁(約三百メートル)余りありそうだった。
「わしらが上陸した時、敵は待ち構えていて、弓矢の応酬で戦が始まりました。やがて、敵の矢が尽きて、敵は逃げました。それ、追撃だと敵を追って行ったら、皆、落とし穴に落ちたのです。敵は左右に散ってバラバラに逃げて行ったので、まさか、落とし穴があるなんて思いませんでした。敵は落とし穴に板を渡していて、渡ったあとにそれを外したのです。幅は三間(けん)(約六メートル)近くあって飛び越える事はできません。勿論、落とし穴の中には竹槍が埋めてあります。あまりの戦死者が出て、わしらは戦意を失いました。そんな時、謝花大主殿がやって来て、山に入って木を伐って、丸太を担いで行って落とし穴を渡ったのです。ところが、落とし穴の中に敵が隠れていて、丸太を渡る兵がやられました。弓矢を撃って穴の中の敵は倒しましたが、落とし穴の先には逆茂木(さかもぎ)がずっと続いていて、敵が待ち構えていたのです。逆茂木に近づいた兵は弓矢と石つぶてにやられました。森の中なら大丈夫だろうと入って行った者たちは、あちこちに仕掛けられた罠にはまって亡くなりました」
「何人、亡くなったんだ?」
「羽地の兵が十六、名護の兵が十八です。わしらは助っ人に来ただけですからね、こんなにも戦死者を出してしまって、申し訳なくて、故郷(しま)に帰れませんよ」
 そう言って我部祖河之子は溜め息をついた。
 謝花大主にも聞いたら、十四人の戦死者を出していた。瀬玉泊で六人が亡くなり、ここで八人が亡くなっていた。
「ここを攻めるのは無理じゃ。戦死者が増えるばかりじゃ」と謝花大主は首を振った。
 諸喜田大主は具志堅大主と相談して、ここから攻めるのをやめて、兵を引き上げさせた。
 小野津に行ったら、小野津の浜にも戦死者が大勢いた。根謝銘大主は戦意をなくして、戦死者たちの前でうなだれていた。
 諸喜田大主が根謝銘大主に話を聞くと沖名泊と同じだった。根謝銘大主は前回、落とし穴にやられたので充分に注意していた。前回の落とし穴がそのまま偽装されていて、同じ手を食らうかと落とし穴をよけて進むと敵が待ち構えていた。弓矢の撃ち合いのあと、敵を追撃して行って、落とし穴に落ち、丸太を渡して落とし穴を渡ると逆茂木があって、敵が待ち構えていた。森の中に入ると罠にはまって戦死者が続出した。
 根謝銘大主は弟の敵討ちだと国頭(くんじゃん)の兵たちを叱咤激励(しったげきれい)したため、十九人もの戦死者を出していた。四月の戦で十六人を亡くし、奄美の若者を補充したが、今回、十九人が戦死した。その内、国頭の兵は十一人いて、連れて来た兵の半数以上を失っていた。弟の敵を討つどころではなく、戦死させてしまった兵たちの親に顔向けができなかった。
 諸喜田大主と具志堅大主は湧川大主に合流しようと湾泊に向かった。湾泊の浜にも大勢の戦死者がいた。湧川大主は浜辺の近くにある屋敷で指揮を執っていた。諸喜田大主と具志堅大主が姿を見せたので驚いた。
「どうして、ここに来た?」と湧川大主は不機嫌そうな顔をして聞いた。
 諸喜田大主は各地の状況を説明した。
「馬鹿者め!」と湧川大主は怒鳴った。
「お前らが持ち場を離れれば、分散していた敵の兵がここに集中してくる。作戦は台無しじゃ」
 湧川大主は悪態をつくと、撤退を命じた。伝令が前線に向かった。苦虫をかみ殺したような顔をして湧川大主も外に出て行った。諸喜田大主は湧川大主の側近の許田之子(きゅーだぬしぃ)から戦況を聞いた。
 前回と同じように、鉄炮の玉を百発撃ち込んだ。湾泊にいる兵たちを狙ってもさほどの効果はないので、御所殿の屋敷とその周辺にある民家を狙って撃った。自分の家がやられると思えば兵たちも動揺するに違いない。何か所か火の手が上がったが、延焼する事はなく、すぐに消されてしまった。
 鉄炮を撃ち終わると小舟に乗って上陸した。敵の攻撃もなく上陸できたが、集落に入ると家の屋根に敵が潜んでいて弓矢を撃ってきた。敵を倒して集落を抜けると、敵が待ち構えていて弓矢の応戦が始まった。弓矢が尽きて敵が逃げて行ったので、あとを追うと落とし穴に落とされた。山に入って木を伐って、落とし穴を渡ると、その先に逆茂木があって敵が待ち構えていた。逆茂木を避けて森の中に入ると様々な罠が仕掛けてあった。丸太を使って逆茂木を壊そうと攻めているが多数の犠牲者が出ているという。
 湧川大主の兵は二十一人が戦死して、負傷者も多数出ていた。
 謝花大主、根謝銘大主、我部祖河之子、伊差川之子の船も湾泊に集まって来たので、皆、万屋に撤収させた。
 万屋に戻った湧川大主は大将たちを集めて今後の対策を練る事もなく、屋敷に籠もってしまった。
 翌朝、追い打ちを掛けるように、船に穴をいくつも開けられた。湧川大主は赤木名に避難するように命じたが、湧川大主だけはただ一人、万屋に残っていた。
 マジニが心配してやって来た。湧川大主は酔い潰れていた。マジニがいる事に気づいて目を開けたが、起き上がる気力もないようだった。
「こんな惨めな姿をお前に見せたくなかった」
「わたしはこの島に来た時、惨めでした」とマジニは言った。
今帰仁ヌルに追い出されて、わたしには行く場所がなかったのです。中山王(ちゅうざんおう)(武寧)の娘だったわたしがこんな辺鄙(へんぴ)な島に来るなんて、そう思うと、とても惨めでした。でも、それを救ってくれたのはあなたなのです。あなたが一緒にいてくれたので、わたしは立ち直れました。今度はわたしの番です。あなたが立ち直るまで、お側にいます」
 湧川大主はマジニを見たが何も言わずに目を閉じた。
 こんな屈辱感を味わうのは初めてだった。二回の攻撃で百五十人もの戦死者を出してしまった。たとえ、百五十人が戦死しても、御所殿の首を取れば許されるだろうが、御所殿の姿を見る事もできずに大敗している。兄に何と言ったらいいのだろう。きっと、激怒するに違いない。援軍まで送ってもらったのに負けるなんて、申し開きもできなかった。
 マジニの世話によって、湧川大主が立ち直ったのは一月後だった。過ぎた事をいつまでも思い悩んでいても始まらない。自らの失敗を認めて、兄に怒られる覚悟もした。そして、マジニから言われたように、鬼界島を攻める事は諦めていた。しばらく間を置いてから、マジニを連れて鬼界島に行き、御所殿と話し合いをしようと思った。御所殿を鬼界按司に任命して、鬼界島の事は御所殿に任せて、山北王と交易するように頼もうと思っていた。
 次の総攻撃はいつだろうと恐れていた兵たちは、湧川大主が鬼界島攻めを中止したと聞いて喜んだ。北風が吹いて帰る時まで、戦死した兵の補充をして帰ろうと、奄美の若者たちを集めて鍛え始めた。
 湧川大主は万屋の屋敷で、マジニと仲良く暮らしていた。毎朝、ヂャンサンフォン(張三豊)から教わった呼吸法をやって、武当拳(ウーダンけん)の套路(タオルー)(形の稽古)をやっていた。マジニが教えてくれと言って、マジニと若ヌルに武当拳の指導をした。やがて、近在の若者たちも教えてくれと集まって来た。湧川大主は若者たちにも教えてやった。湧川大主はみんなから師匠と呼ばれ、いつしか、万屋グスクは若者たちの集会所となった。娘たちも集まって来て、湧川大主を囲んで、一緒に歌を歌ったり、お酒を飲んだりして楽しい時を過ごした。
「あなた、変わったわ」と海を眺めながらマジニは湧川大主に言った。
「お前のお陰だよ」と湧川大主は笑った。
「お前は中山王の娘という身分を捨てて、自分を取り戻した。俺は今までずっと、山北王の弟として生きて来た。兄貴が主役で、俺はいつも脇役だった。俺も山北王の弟という身分を捨ててみようと思ったんだ」
「えっ、もう今帰仁に帰らないの?」
「そういう意味じゃないよ。俺は山北王の弟じゃなくて、俺の兄貴が山北王なんだ。わかるか。俺は俺として主役を生きようと思ったんだよ。そう思ったら、急に楽になってきたんだ。山北王の弟が、島の若者たちと騒いだりしたりできないが、俺という個人なら、若者たちと一緒に騒いだって、何の問題もないと思ったんだよ。鬼界島攻めをやめたのも、山北王の弟としてではなく、俺が決めた事なんだ。山北王には怒られるが、これからは俺の道を生きようと思っている」
 マジニは湧川大主を見て微笑んだ。
 アマンディー(奄美岳)に行って、マジニは『カサンヌ姫』に、湧川大主が鬼界島攻めを中止した事を伝えた。カサンヌ姫は喜んで、母親の『キキャ姫』に伝えた。キキャ姫も喜んだが、湧川大主との戦いで多くの民家が破壊され、数十人の島民が戦死した事は許せなかった。湧川大主が帰る前に、もう一泡吹かせたいと思っていた。ユンヌ姫が台風の知らせを持って来て、キキャ姫は最後の仕上げにかかったのだった。
 九月十七日、台風が近づいて来て、早朝から海は大荒れとなり、大雨も降ってきた。万屋グスクには近在の人たちが大勢、避難してきていた。湧川大主の屋敷もサムレー屋敷も避難民たちで溢れ、湧川大主はマジニと一緒にヌルの屋敷に移っていた。
 一日中、大荒れで一歩も外には出られなかった。万屋グスクは小高い丘の上にあるので、海から叩きつける風が物凄かった。それでも、屋根が吹き飛ばされる事もなく無事に済んだ。
 夕方になって雨も小雨になり風も治まってきた。島の人たちは自分の家を心配して見に行ったが、ほとんどの家が吹き飛ばされていて悲惨な有様となっていた。
 湧川大主は馬を飛ばして、赤木名に行った。見るも悲惨な状況が目の前にあった。湧川大主の武装船は無事だったが、四隻の船が座礁していて、一隻は完全に横倒しになっていた。
「何という事だ」と湧川大主は呆然と座礁した船を眺めていた。
 あとを追ってやって来たマジニが、
「天罰が下ったんだわ」とぽつりと言った。


 上空から座礁した船を見ていたユンヌ姫は、
「あなたの作戦がうまくいったみたいね」とアカナ姫に言った。
「あの時と同じよ。でも、今回は碇(いかり)の綱を半分しか切らなかったから大丈夫かなって心配したけど、成功してよかったわね」
「ミャークの時はすでに座礁していたから、碇の綱を切っても大丈夫だったけど、今回、切ってしまったら台風が来る前に気づかれてしまうわ」
「湧川大主の武装船は無事だわ。気づいたのかしら」とキキャ姫が言った。
武装船が座礁しなかったのは残念だけど、四隻も座礁すれば上出来よ。兵たちの半分は琉球に帰れないわ」とユンヌ姫は言った。
「あたしたち、このままヤマトゥに行くけど、あなたも一緒に来ない?」
「戦も一段落したし、久し振りにヤマトゥに行ってみようかしら」
「ササを紹介するわ」
 ユンヌ姫とアカナ姫はキキャ姫を連れてヤマトゥに向かった。

 

 

 

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