長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2018-01-01から1年間の記事一覧

2-160.上比屋のムマニャーズ(改訂決定稿)

女按司(みどぅんあず)のマズマラーのお世話になって、村(しま)の人たちと一緒に楽しい酒盛りをして、狩俣(かずまた)で一泊したササ(運玉森ヌル)たちは、翌日、クマラパとタマミガの案内で赤崎のウタキ(御嶽)に向かった。 途中、白浜(すすぅばま)に寄った…

2-159.池間島のウパルズ様(改訂決定稿)

狩俣(かずまた)から小舟(さぶに)に乗ってササ(運玉森ヌル)たちは池間島(いきゃま)に向かった。クマラパは池間島の神様は苦手じゃと言って、行くのを渋っていたが、娘のタマミガに説得されて一緒に来てくれた。 神様のお陰か、季節外れの南風を帆に受けて小…

2-158.漲水のウプンマ(改訂決定稿)

昨夜(ゆうべ)、目黒盛豊見親(みぐらむいとぅゆみゃー)が開いてくれた歓迎の宴(うたげ)で遅くまでお酒を飲んでいたのに、ミャーク(宮古島)に来て心が弾んでいるのか、翌朝、ササ(運玉森ヌル)は早くに目が覚めた。まだ夜が明ける前で、外は薄暗かった。 空…

2-157.ミャーク(改訂決定稿)

ササ(運玉森ヌル)たちを石垣に囲まれた狩俣(かずまた)の集落に入れてくれた白髪白髭の老人は、女按司(うなじゃら)の『マズマラー』の夫の『クマラパ』という明国(みんこく)の人だった。正確に言えば、クマラパが琉球に行った時、まだ明国は建国されていな…

2-156.南の島を探しに(改訂決定稿)

十五夜(じゅうぐや)の宴(うたげ)の翌日、台風が来た。それほど大きな台風ではなかったが海は荒れて、大里(うふざとぅ)ヌルとフカマヌルは久高島(くだかじま)に帰れなかった。 大里ヌルは二階堂右馬助(にかいどううまのすけ)と一緒にどこかに行ってしまい、三…

2-155.大里ヌルの十五夜(改訂決定稿)

ウニタキ(三星大親)が山北王(さんほくおう)(攀安知)の軍師、リュウイン(劉瑛)を首里(すい)に連れて来た。 一緒に来たのはリュウインの弟子の伊野波之子(ぬふぁぬしぃ)と東江之子(あがりーぬしぃ)だった。二人とも三十歳前後の年齢で、リュウインが今帰…

2-154.武装船(改訂決定稿)

三姉妹の船が旧港(ジゥガン)(パレンバン)の船とジャワ(インドネシア)の船を連れてやって来た。メイユー(美玉)は今年も来なかった。娘のロンジェン(龍剣)は健やかに育っていると聞いて、サハチ(中山王世子、島添大里按司)は会いに行きたいと思った。…

2-153.神懸り(改訂決定稿)

久米島(くみじま)から帰って来たサハチ(中山王世子、島添大里按司)は、クイシヌ(ニシタキヌル)と出会ったあとの出来事が、夢だったのか現実だったのかわからなかった。ウニタキ(三星大親)に連れられてクイシヌの屋敷に行って、クイシヌの顔を見た途端…

2-152.クイシヌ(改訂決定稿)

安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)、ササ(運玉森ヌル)、シンシン(杏杏)、ナナはクイシヌ様と一緒にニシタキ(北岳、後の宇江城岳)に登った。新垣(あらかき)ヌル、堂ヌル、ミカ(八重瀬若ヌル)と八重瀬(えーじ)ヌルも一緒に行った。 サハチ(中山王…

2-151.久米島(改訂決定稿)

六月五日、今年最初の進貢船(しんくんしん)が出帆した。南部の戦(いくさ)騒ぎで半年も遅れた船出だった。 正使はサングルミー(与座大親)、副使は久米村(くみむら)の唐人(とーんちゅ)の韓完義(ハンワンイー)で、クグルー(泰期の三男)と馬天浜(ばてぃんは…

2-150.慈恩寺(改訂決定稿)

五月四日、梅雨が明けた青空の下、国場川(くくばがー)で『ハーリー』が賑やかに行なわれた。戦(いくさ)の後始末も終わり、二年振りに三人の王様の龍舟(りゅうぶに)も揃う事もあって、観客たちが大勢やって来た。 シタルー(先代山南王)はいなくなったが、新…

2-149.シヌクシヌル(改訂決定稿)

佐敷グスクのお祭りの三日後、ササの四人の弟子たちとマユ(安須森若ヌル)の一か月の修行が終わった。 ヂャンサンフォン(張三豊)は運玉森(うんたまむい)ヌル(先代サスカサ)と二階堂右馬助(にかいどううまのすけ)を連れて山グスクに移って行った。ヂャン…

2-148.山北王が惚れたヌル(改訂決定稿)

中山王(ちゅうさんおう)(思紹)が女たちを連れて久高島参詣(くだかじまさんけい)をしていた頃、島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクでは山北王(さんほくおう)の代理として本部(むとぅぶ)のテーラー(瀬底之子)が、山南王(さんなんおう)の他魯毎(たるむい)…

2-147.久高ヌル(改訂決定稿)

戦後処理も片付いた四月の三日、一月遅れの『久高島参詣(くだかじまさんけい)』が行なわれた。 グスク内に閉じ込められている女たちにとって、久高島参詣は年に一度の楽しみだった。それが戦(いくさ)のために中止になってしまったので、思紹(ししょう)(中山…

2-146.若按司の死(改訂決定稿)

山南王(さんなんおう)に就任した他魯毎(たるむい)は豊見(とぅゆみ)グスクから島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクに引っ越しを始めた。すぐ下の弟、兼(かに)グスク按司(ジャナムイ)が豊見グスクに移って、豊見グスク按司を名乗り、四男のシルムイが阿波根(…

2-145.他魯毎(改訂決定稿)

島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクが落城した翌日、大(うふ)グスク、与座(ゆざ)グスク、真壁(まかび)グスクが降伏して開城した。 長嶺按司(ながんみあじ)と瀬長按司(しながあじ)の兵に包囲されていた大グスクでは、サムレー大将の真壁之子(まかびぬしぃ)が…

2-144.無残、島尻大里(改訂決定稿)

三月十日の早朝、他魯毎(たるむい)(豊見グスクの山南王)の兵と山北王(さんほくおう)(攀安知)の兵によって島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクの総攻撃が行なわれた。 本部(むとぅぶ)のテーラー(瀬底之子)率いる山北王の兵二百人が大御門(うふうじょー)…

2-143.山グスク(改訂決定稿)

米須(くみし)グスクは予想外な展開で開城となった。 敵陣に突っ込んで行った米須按司の行動は不可解だったが、若按司の話から、ああなった経緯はわかった。 物見櫓(ものみやぐら)の上で若按司と喧嘩をした按司は、重臣たちを集めて戦評定(いくさひょうじょう…

2-142.米須の若按司(改訂決定稿)

南部での戦(いくさ)は続いていたが、二月二十八日、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクで例年通りのお祭り(うまちー)が行なわれた。いつもよりも厳重な警備の中でのお祭りだったが、天候に恵まれて、大勢の人たちが集まって来て、お祭りを楽しんだ。いつも…

2-141.落城(改訂決定稿)

首里(すい)グスクのお祭り(うまちー)から六日後の昼下がり、玻名(はな)グスクに一節切(ひとよぎり)の調べが流れていた。 吹いているのは勿論、サハチ(中山王世子、島添大里按司)である。高い櫓(やぐら)の上から海の方を見ながら吹いていた。 戦(いくさ)を…

2-140.愛洲のジルー(改訂決定稿)

シンゴ(早田新五郎)とマグサ(孫三郎)の船が馬天浜(ばてぃんはま)にやって来た。 知らせを聞いたサハチ(中山王世子、島添大里按司)は玻名(はな)グスクから馬天浜に向かった。 すでに、『対馬館(つしまかん)』で歓迎の宴(うたげ)が始まっていた。マチル…

2-139.山北王の出陣(改訂決定稿)

山北王(さんほくおう)(攀安知)の兵が南部に出陣する前、今帰仁(なきじん)に驚くべき知らせが届いていた。知らせたのは奄美按司(あまみあじ)の使者で、鬼界島(ききゃじま)(喜界島)の鬼界按司の兵が全滅して、以前のごとく、御所殿(ぐすどぅん)(阿多源八…

2-138.ササと若ヌル(改訂決定稿)

玻名(はな)グスクから引き上げたササは、八重瀬(えーじ)グスクに寄ってマタルー(八重瀬按司)の長女のチチーを連れて、兼(かに)グスクに寄ってンマムイ(兼グスク按司)の次女のマサキを連れて与那原(ゆなばる)グスクに帰った。チチーを八重瀬ヌルに、マサ…