長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2015-01-01から1年間の記事一覧

70.久米村(改訂決定稿)

十一月に『冊封使(さっぷーし)』は帰って行った。 島添大里(しましいうふざとぅ)では冊封使の影響はあまりなかったはずなのに、冊封使が帰ったら、何だか急に静かになったように感じられた。 サハチ(島添大里按司)が火鉢にあたって丸くなっていると、侍女…

69.ウニョンの母(改訂決定稿)

ウニタキ(三星大親)は浦添(うらしい)の『よろずや』にいるムトゥから信じられない事を聞いていた。 昨日、ムトゥは浦添グスクの侍女、『ナーサ』に呼ばれた。浮島(那覇)にいる『冊封使(さっぷーし)』の事など世間話をした後、今日は娘の命日なのよと言っ…

68.冊封使(改訂決定稿)

四月の初め、明国(みんこく)(中国)から初めて『冊封使(さっぷーし)』が来た。 去年の返礼の使者たちと同じように、二隻の大きな船に乗ってやって来た。中山王(ちゅうざんおう)(武寧)と山南王(さんなんおう)(シタルー)は出迎えのために、大勢の重臣たち…

67.望月ヌル(改訂決定稿)

正月の下旬、シンゴ(早田新五郎)とクルシ(黒瀬)の船が二隻、馬天浜(ばてぃんはま)に着いた。サハチ(島添大里按司)の弟のマタルーと苗代大親(なーしるうふや)の長男のマガーチが、無事にヤマトゥ旅を終えて帰って来た。 去年の四月、二人はキラマ(慶良…

66.奥間のサタルー(改訂決定稿)

十二月の半ば、サハチ(島添大里按司)はヤキチに呼ばれた。 ヤキチは重臣として『奥間大親(うくまうふや)』を名乗って、グスクに出仕しているが、内密の事はグスク内では話さず、城下にある鍛冶屋(かんじゃー)の作業場にサハチを呼んでいた。 日が暮れてい…

65.上間按司(改訂決定稿)

久高島(くだかじま)からの帰りに、サハチ(島添大里按司)たちは何者かに襲われた。 小舟(さぶに)から下りて、須久名森(すくなむい)を左に見ながら山裾を歩いている時だった。突然、山の中から浪人のようなサムレーが現れて、サハチたちを囲んだ。前に四人、…

64.シタルーの娘(改訂決定稿)

年が明けて、永楽(えいらく)元年(一四〇三年)となり、島尻大里(しまじりうふざとぅ)から山南王(さんなんおう)(シタルー)の娘、ウミトゥク(思徳)がサハチ(島添大里按司)の末の弟、クルー(九郎)に嫁いで来た。花婿も花嫁も十六歳になったばかりで、…

63.サミガー大主の死(改訂決定稿)

ウニタキ(三星大親)か久し振りに現れた。フカマヌルと一緒に、どこかに消えてから四か月が過ぎていた。 城下の『まるずや』に行くと、裏の屋敷で、ウニタキは陽気に三弦(サンシェン)を鳴らしていた。「また勝連(かちりん)に行っていたのか」とサハチ(島添…

62.マレビト神(改訂決定稿)

去年の台風で、密貿易船はかなりの被害を受けていたのに、懲りずに今年も何隻もやって来ていた。 島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)の倉庫は与那原(ゆなばる)の港にあった。亡くなった先代の山南王(さんなんおう)の汪英紫(おーえーじ)が建てた物で、汪英…

61.同盟(改訂決定稿)

山南王(さんなんおう)のシタルーとの同盟は重臣たちの会議では、文句なく賛成だった。家臣の数が三倍にもなったため、交易を盛んにしなければ、やって行けなくなる。こちらからお願いしたい所だったと大喜びだった。問題は東方(あがりかた)の按司たちの反応…

60.お祭り騒ぎ(改訂決定稿)

島添大里(しましいうふざとぅ)グスクの落城から一月が経った二月二十八日、島添大里グスクにおいて盛大な戦勝祝いが行なわれた。 家臣たちは勿論の事、城下の人たちも加わって、昼過ぎから夜遅くまで、お祭り騒ぎを楽しんだ。佐敷の城下の人たちも、平田の城…

59.島添大里按司(改訂決定稿)

念願だった島添大里(しましいうふざとぅ)グスクを手に入れたサハチは、佐敷按司から島添大里按司になった。 マチルギと一緒に豪勢な屋敷の二階から、高い石垣に囲まれたグスク内を見下ろして、その事を充分に実感していた。 島添大里グスクを攻め落としてか…

58.奇襲攻撃(改訂決定稿)

正月二十七日、東方(あがりかた)の按司たちが島添大里(しましいうふざとぅ)グスクの包囲を解いて引き上げてから、半時(はんとき)(一時間)ほど経った頃、東御門(あがりうじょう)が開いた。 グスクから出て来た三十人ほどの兵は、弓矢を構えて、敵が隠れてい…

57.シタルーの非情(改訂決定稿)

半月振りに戻って来た、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクの戦陣は随分と変わっていた。 ファイチ(懐機)が考えて、大(うふ)グスクで作った櫓(やぐら)と同じような櫓が五つも立っていた。誰かが、大グスクに偵察に行ったようだった。櫓と櫓をつなぐ通路は…

56.作戦開始(改訂決定稿)

大(うふ)グスクの城下に住んでいた人たちの中に、マナビー(真鍋)がいた。戦死したと思っていた、大グスクヌルのマナビーが生きていた。 大グスクが落城した時、マナビーはグスクの外にあるウタキ(御嶽)でお祈りをしていて助かり、城下の人たちに匿(かく…

55.大グスク攻め(改訂決定稿)

大(うふ)グスクに来たのは何年振りだろうか、とサハチ(佐敷按司)は閉ざされたグスクの大御門(うふうじょう)(正門)を見ながら思っていた。 大グスクが落城する前の正月、祖父(サミガー大主)と一緒に挨拶に来たのが最後だった。サハチがまだ十四歳の時だ…

54.家督争い(改訂決定稿)

八重瀬按司(えーじあじ)のタブチの行動は素早かった。 まるで、前もって父親が亡くなるのを知っていたかのように、その日の夕方には、二百人の兵を率いて島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクを占領した。 タブチは父親の重臣だった者たちを集めると、父親の…

53.笛と三弦(改訂決定稿)

不思議な道士の『ファイチ(懐機)』は琉球を知るために、旅に出て行った。 旅に出る前に、浮島(那覇)の久米村(くみむら)から家族を連れて来た。久米村は物騒だから佐敷に置いてくれという。サハチ(佐敷按司)は喜んで引き受けた。新しい屋敷を祖父の隠居…

52.不思議な唐人(改訂決定稿)

シンゴ(早田新五郎)の船がキラマ(慶良間)を回って浮島(那覇)に入った頃、明国(みんこく)(中国)から来た密貿易船に乗って、琉球に逃げて来た唐人(とーんちゅ)がいた。 科挙(かきょ)に合格して宮廷に仕えていた秀才だったが、洪武帝(こうぶてい)が亡く…

51.シンゴとの再会(改訂決定稿)

佐敷の東に『須久名森(すくなむい)』と呼ばれる山がある。その西側の裾野に『平田』という所があり、今、そこに小さなグスクを築いていた。 サハチ(佐敷按司)の三番目の弟、マタルーが八重瀬按司(えーじあじ)(タブチ)のお娘を嫁に迎えるに当たって、二人…

50.マジムン屋敷の美女(改訂決定稿)

明国(みんこく)(中国)の皇帝(洪武帝)の死は、思っていた以上の影響があった。 明国に行った進貢船(しんくんしん)は戦乱に巻き込まれる危険があるので、応天府(おうてんふ)(南京)に行く事ができなかった。仕方なく、皇帝への貢ぎ物も泉州の商人と取り引…

49.宇座の御隠居(改訂決定稿)

年が明けて洪武(こうぶ)三十一年(一三九八年)、サハチは二十七歳になった。佐敷按司(さしきあじ)になって七年目の年が始まった。 佐敷按司になった時と比べると、周りの状況もかなり変わっていた。島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)の汪英紫(おーえー…

48.ハーリー(改訂決定稿)

生憎(あいにく)の空模様だった。今にも雨が降りそうだった。今年はまだ、梅雨が明けていなかった。 サハチ(佐敷按司)たちは恒例の旅に出ていた。いつもなら、梅雨が明けてから出て来るのだが、豊見(とぅゆみ)グスクで行なわれる『ハーリー』が見たくて早め…

47.佐敷ヌル(改訂決定稿)

マチルギが、妹のマカマドゥ(真竈)のお嫁入りの話をしたのは、暑い夏の盛りだった。 娘たちの剣術の稽古が終わり、水を浴びて汗を流したマチルギが、縁側でぐったり伸びていたサハチ(佐敷按司)に声を掛けて来た。「ねえ、マカマドゥだけど、もう十六なの…

46.夢の島(改訂決定稿)

二月にサハチ(佐敷按司)の四男が生まれた。 マチルギの祖父の名をもらって、『チューマチ(千代松)』と名付けられた。マチルギの祖父(二代目千代松)は今帰仁按司(なきじんあじ)だった。曽祖父(初代千代松)が亡くなったあと、羽地按司(はにじあじ)(帕…

45.馬天ヌル(改訂決定稿)

中山王(ちゅうざんおう)の葬儀は浮島(那覇)の護国寺(ぐくくじ)で盛大に行なわれた。 跡を継いで中山王となった浦添按司(うらしいあじ)のフニムイ、フニムイの義父である山南王(さんなんおう)の汪英紫(おーえーじ)、フニムイの娘婿である山北王(さんほくお…

44.察度の死(改訂決定稿)

久高島(くだかじま)の旅から帰ると、サハチ(佐敷按司)は御門番(うじょうばん)から鍛冶屋(かんじゃー)のヤキチの言伝(ことづて)を聞かされた。 頼まれていた短刀ができ上がったとの事だった。短刀を頼んでいたわけではなく、ただ話があるという意味だった。…

43.玉グスクのお姫様(改訂決定稿)

十一月に生まれた、サハチ(佐敷按司)の四番目の子供は男の子だった。祖父、サミガー大主(うふぬし)の名前をもらって、『イハチ(伊八)』と名付けられた。「この子はお爺様のように海の男になるわ。きっと、船乗りになって、ヤマトゥ(日本)や明(みん)の…

42.予想外の使者(改訂決定稿)

山南王(さんなんおう)となった島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)(汪英紫)は、家臣たちを引き連れて島添大里グスクから島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクに移って行った。 島添大里グスクには、大(うふ)グスク按司のヤフス(屋富祖)が入って島添大里…

41.傾城(改訂決定稿)

洪武(こうぶ)二七年(一三九四年)は正月から大忙しだった。 正月の十日にサハチ(佐敷按司)の弟、マサンルー(真三郎)の婚礼が華やかに行なわれた。花嫁は鍛冶屋(かんじゃー)のヤキチの娘、キク(菊)だった。二人の仲はサハチもまったく知らなかった。マ…