長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2015-01-01から1年間の記事一覧

40.山南王(改訂決定稿)

夏真っ盛りの暑い日々が続いていた。 ヒューガ(三好日向)が佐敷を去ってから二か月が過ぎ、南部の各地に山賊が出没して、食糧が奪われたとの噂が流れて来た。また、その山賊の仕業かどうかはわからないが、貧しい村に、食糧が天から降って来たという噂も流…

39.運玉森(改訂決定稿)

久高島(くだかじま)から佐敷に戻ったヒューガ(三好日向)は、サハチ(佐敷按司)にわけを話して、ヤマトゥ(日本)に帰る準備を始めた。 ヒューガの話を聞いたサハチは予想外な展開に驚いた。山賊になって、久高島の修行者たちの食糧を調達するなんて危険す…

38.久高島(改訂決定稿)

三月にマチルギが女の子を産んだ。 三人目に、やっと女の子が生まれて、マチルギは大喜びだった。サハチ(佐敷按司)も初めての女の子の誕生は嬉しかった。母親似の可愛い女の子は、サハチの母の名前をもらって、『ミチ(満)』と名付けられた。「ミチ、『ウ…

37.旅の収穫(改訂決定稿)

十二月の半ば、『東行法師(とうぎょうほうし)』となって旅に出た父が、ようやく帰って来た。前回と同じように、マサンルーを佐敷グスクに帰して、『東行庵(とうぎょうあん)』にサハチ(佐敷按司)を呼んだ。「長い旅だったな」とサハチが言うと、マサンルー…

36.浜川大親(改訂決定稿)

伊波(いーふぁ)、越来(ぐいく)、北谷(ちゃたん)などの中部で、高麗人(こーれーんちゅ)の山賊が村々を荒らし回っているとの噂が流れて来たのは、サハチ(佐敷按司)たちが『首里天閣(すいてぃんかく)』を見に行ってから一月ほど経った頃だった。 どうして、高…

35.首里天閣(改訂決定稿)

二月になってもサンルーザ(早田三郎左衛門)は来なかった。 サハチ(佐敷按司)を送ってサイムンタルー(左衛門太郎)が来てから四年が過ぎている。今年は来るだろうと思っていたのに来なかった。高麗(こーれー)の国(朝鮮半島)に政変が起こって混乱してい…

34.東行法師(改訂決定稿)

年が明けて洪武(こうぶ)二十五年(一三九二年)正月、佐敷按司は家臣たちを前に隠居する事を宣言した。 家臣たちは突然の事に驚いて、しばし言葉が出なかった。やがて、まだ隠居する年齢(とし)ではないと言って家臣全員が猛反対した。佐敷按司は年が明けて三…

33.十年の計(改訂決定稿)

風が冷たかった。今にも雨が降りそうな空模様だ。 今帰仁合戦(なきじんかっせん)のあった年の十二月の初め、サハチ(佐敷若按司)は祖父のサミガー大主(うふぬし)に呼ばれて、仲尾(新里)にある祖父の隠居屋敷に向かっていた。雪が降って来るヤマトゥ(日本…

32.ササの誕生(改訂決定稿)

島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)(汪英紫)の後始末は、さすがと言える程に素早かった。 三男の大(うふ)グスク按司、ヤフス(屋富祖)がしでかした不始末をあっという間に解決してしまった。やはり、糸数按司(いちかじあじ)と比べて島添大里按司の方が…

31.今帰仁合戦(改訂決定稿)

洪武(こうぶ)二十四年(一三九一年)四月一日、佐敷按司(さしきあじ)は五十人の兵を引き連れて出陣して行った。苗代大親(なーしるうふや)、兼久大親(かにくうふや)、クマヌ(熊野大親)、ヤシルー(八代大親)、美里之子(んざとぅぬしぃ)が、佐敷按司に従っ…

30.出陣命令(改訂決定稿)

サハチ(佐敷若按司)の長男誕生を一番喜んだのは、祖父のサミガー大主(うふぬし)だった。祖父は祖母と一緒に、毎日のように東曲輪(あがりくるわ)にやって来て、曽孫(ひまご)の顔が見られるとは思ってもいなかったと言って喜び、これを機に隠居すると言い出…

29.長男誕生(改訂決定稿)

久高島(くだかじま)に馬天(ばてぃん)ヌルを残して、サハチ(佐敷若按司)、マチルギ、ヒューガ(三好日向)の三人は知念(ちにん)グスクの城下を見て、垣花(かきぬはな)グスクの城下を見て、また玉グスクの城下に戻って来た。「そろそろ帰るか」とサハチがマ…

28.サスカサ(改訂決定稿)

サハチ(佐敷若按司)たちは久高島(くだかじま)に来ていた。 馬天(ばてぃん)ヌルに振り回されるような形で、久高島に渡っていた。マチルギは特に旅の目的はなく、知らない土地を見てみたいというだけだった。サハチとヒューガ(三好日向)は気分転換のために…

27.豊見グスク(改訂決定稿)

サハチ(佐敷若按司)とマチルギ(伊波按司の次女)の婚礼の次の日の朝、大(うふ)グスク按司のシタルーがお祝いを言いに、佐敷グスクの東曲輪(あがりくるわ)にやって来た。 シタルーは相変わらず佐敷按司を敵と見る事なく、隣りの家に遊びに来たような気楽な…

26.高麗の対馬奇襲(改訂決定稿)

サハチ(佐敷若按司)とマチルギ(伊波按司の次女)の婚礼が行なわれていた頃、ヤマトゥ(日本)の対馬(つしま)では、とんでもない事が起こっていた。 琉球に帰ったサハチがマチルギとの再会を喜んでいた頃、高麗(こうらい)(朝鮮半島)に来た明国(みんこく)…

25.お輿入れ(改訂決定稿)

サハチ(佐敷若按司)とマチルギ(伊波按司の次女)の新居は十一月の半ばに完成した。 東曲輪(あがりくるわ)ができて、佐敷グスクは以前よりもずっと立派に見えた。石垣がないのは残念だが、贅沢は言えない。村の人たちがサハチたちのために総出で築いたグス…

24.山田按司(改訂決定稿)

名護(なぐ)の山中にある木地屋(きじやー)の親方(うやかた)の屋敷を朝早く旅立ったサハチ(佐敷若按司)たちは、海岸沿いに道なき道を通って伊波(いーふぁ)へと向かった。 鍛冶屋(かんじゃー)のヤキチ(弥吉)たちはどこに行ったのか、出掛ける時、姿を見せな…

23.名護の夜(改訂決定稿)

浮島(那覇)は相変わらずの賑わいだった。 この前に来た時から、一年半足らずしか経っていないのに、以前よりも、家々が大分増えているような気がした。島の外れの砂浜には造船所もできて、大きな船を造っていた。 サイムンタルー(左衛門太郎)の船は島か…

22.ウニタキ(改訂決定稿)

佐敷グスクの拡張工事が始まっていた。 サハチが嫁を迎えると今の屋敷では狭いので、新たに東側に曲輪(くるわ)を作って、そこにサハチたちの屋敷を建てる事になった。 佐敷グスクを建てた時、サハチの兄弟は五人だったのが、今では八人になり、もうすぐ、九…

21.再会(改訂決定稿)

ウニタキ(鬼武)との試合で引き分けたマチルギ(真剣)は、佐敷に戻って厳しい修行を続けていた。 ウニタキに勝つには、道場内の修行では難しいと判断した苗代之子(なーしるぬしぃ)は、かつて、自分が修行した山の中に、マチルギとサム(左衛門)を連れて行…

20.兵法(改訂決定稿)

対馬(つしま)の冬は、琉球育ちのサハチ(佐敷若按司)には物凄く寒かった。 壱岐島(いきのしま)にいた頃の宇座按司(うーじゃあじ)(泰期(たち))が首に巻いていたという襟巻きを、イトに作ってもらって首に巻いていた。 八月になると海水も冷たくなって、イ…

19.マチルギ(改訂決定稿)

サハチ(佐敷若按司)が対馬(つしま)でイトと仲良くやっている頃、マチルギは一人で悩んでいた。 サハチがヤマトゥ(日本)に旅立ったあと、マチルギは毎日休まず、剣術の稽古に励んでいた。サハチがヤマトゥから帰って来た時、試合をして勝たなければならな…

18.富山浦(改訂決定稿)

サハチ(佐敷若按司)はヒューガ(三好日向)と一緒に高麗(こうらい)の国(朝鮮半島)に来ていた。 それは突然の出来事だった。サイムンタルー(左衛門太郎)の船に乗せられて、言葉の通じない異国に来たのだった。 イトと出会ってから、サハチは毎日のよう…

17.対馬島(改訂決定稿)

対馬(つしま)は山ばかりの島だった。 南北に細長い大きな島で、サンルーザ(早田三郎左衛門)の村は島の西側、中程にある大きな湾の入り口辺りにあった。 『浅海湾(あそうわん)』と呼ばれるその湾は、奥が深くて複雑な地形で、山々が湾内に細長くせり出して…

16.博多(改訂決定稿)

ようやく、念願の博多にやって来た。 壱岐島(いきのしま)の『志佐壱岐守(しさいきのかみ)』の船に乗って、サハチ(佐敷若按司)はサイムンタルー(左衛門太郎)、ヒューガ(三好日向)と一緒に九州の都、博多の地に上陸した。 志佐壱岐守とサンルーザ(早田…

15.壱岐島(改訂決定稿)

取り引きも無事に済んで、夜明けと共に坊津(ぼうのつ)を出帆したサハチ(佐敷若按司)たちを乗せた船は、甑島(こしきじま)に一泊してから五島列島へと向かった。 甑島から五島列島までは、かなりの距離があって、途中に島などなく海しか見えなかった。九州か…

14.ヤマトゥ旅(改訂決定稿)

ヤマトゥ(日本)の国は思っていたよりも、ずっと遠かった。 ヤマトゥの国は琉球の北(にし)の方にあって、三つか四つの島を経由すれば着くだろうと簡単に思っていたのに、数え切れないほどの島がいくつもあって、いつまで経っても、ヤマトゥの国は目の前に現…

13.伊平屋島(改訂決定稿)

梅雨の明けた五月の初旬、サハチ(佐敷若按司)を乗せたサンルーザ(早田三郎左衛門)の船はヤマトゥ(日本)へ向けて、浮島(那覇)を出帆した。 サハチのヤマトゥ旅への船出を祝うかのように、空は青く晴れ渡り、海は眩しく輝いていた。 竹でできた大きな…

12.恋の病(改訂決定稿)

旅から帰って来て二か月が過ぎていた。 うりずんと呼ばれる過ごしやすい日々が続いていたが、サハチ(佐敷若按司)は悶々(もんもん)とした日々を送っていた。 原因はマチルギだった。真剣な顔つきで剣術の稽古に励んでいるマチルギの姿、強い視線でサハチを…

11.奥間(改訂決定稿)

今帰仁(なきじん)から羽地(はにじ)まで戻って、郡島(くーいじま)(屋我地島)を左に見ながら海岸沿いを進んだ。 小高い丘の上に羽地グスク(親川グスク)があり、近くには仲尾泊(なこーどぅまい)(寒汀那港)があって、ヤマトゥ(日本)から来たらしい船が二…