長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

尚巴志伝 第二部

2-118.マグルーの恋(改訂決定稿)

キラマ(慶良間)の島から帰って来たら梅雨に入ったようだった。 サハチ(中山王世子、島添大里按司)はヤマトゥ(日本)に行く交易船と朝鮮(チョソン)に行く勝連船(かちりんぶに)の準備で忙しくなっていた。早いもので、今年で五度目だった。最初の年は朝鮮…

2-117.スサノオ(改訂決定稿)

佐敷ヌルたちがヤンバル(琉球北部)の旅から帰って来たのは、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクのお祭り(うまちー)の四日前だった。「いい旅だった。琉球は本当にいい所だ」とマツ(中島松太郎)は満足そうな顔をして言った。「こんな所で暮らしているな…

2-116.念仏踊り(改訂決定稿)

二月四日、今年最初の進貢船(しんくんしん)が二隻の旧港(ジゥガン)(パレンバン)の船を連れて出帆して行った。 正使はサングルミー(与座大親)で、従者としてクグルーと馬天浜(ばてぃんはま)のシタルー、イハチも行き、垣花(かきぬはな)からはシタルーの義…

2-115.マツとトラ(改訂決定稿)

サイムンタルー(早田左衛門太郎)は倭寇(わこう)働きをするために、去年の末、明国(みんこく)に行った。戦(いくさ)の経験のない跡継ぎの六郎次郎も連れて行き、浅海湾(あそうわん)内の浦々で暮らしている者たち一千人近くを率いて行ったという。「六郎次郎…

2-114.報恩寺(改訂決定稿)

島添大里(しましいうふざとぅ)グスクの刺客(しかく)襲撃事件から二十日が過ぎた。 女子(いなぐ)サムレーたちはユーナが山南王(さんなんおう)の間者(かんじゃ)だったと知って驚いたが、自分たちを裏切らなかったので、いつの日か、また会える事を願っていた。…

2-113.親父の悪夢(改訂決定稿)

山南王(さんなんおう)のシタルーは夢を見ていた。 子供の頃、八重瀬(えーじ)グスクの庭で、兄弟が揃って遊んでいる夢だった。その年、上の姉のウシが中山王(ちゅうさんおう)の若按司(武寧)に嫁いで行った。下の姉のマチはヌルになるための修行を始めた。あ…

2-112.十五夜(改訂決定稿)

与那原(ゆなばる)が台風にやられてから半月後、与那原グスクのお祭り(うまちー)が行なわれた。 家や舟を失った人たちも多いので、今年のお祭りは中止しようと与那原大親(ゆなばるうふや)(マタルー)の妻、マカミーは考えたが、グスクに避難している人たちは…

2-111.寝返った海賊(改訂決定稿)

中山王(ちゅうさんおう)(思紹)の使者たちが京都に着いて、ササたちが京都の街を行列していた頃、琉球では二月に行った進貢船(しんくんしん)が無事に帰国した。 正使の具志頭大親(ぐしかみうふや)、従者のクグルーと馬天浜(ばてぃんはま)のシタルー、サムレ…

2-110.鳥居禅尼(改訂決定稿)

八月の一日、ササ(馬天若ヌル)たちは熊野新宮(しんぐう)の神倉山(かみくらやま)に来ていた。 ササたちが大原から京都に戻ると、南蛮(なんばん)(東南アジア)から使者が来たとの噂で持ち切りだった。四年前に若狭(わかさ)(福井県)に来て、台風にやられた…

2-109.ヌルたちのお祈り(改訂決定稿)

六月の半ば、山南王(さんなんおう)のシタルーの娘が真壁(まかび)の若按司に嫁いで行った。先代の真壁按司が隠居して山グスク大主(うふぬし)となって、中山王(ちゅうさんおう)(思紹)の船に乗って明国(みんこく)に行ったのを牽制(けんせい)するつもりだろう…

2-108.舜天(改訂決定稿)

奥間(うくま)ヌルが首里(すい)に来た。 サハチ(中山王世子、島添大里按司)は驚いて、焦った。一昨年(おととし)の冬、ウニタキ(三星大親)と一緒に伊平屋島(いひゃじま)に行く途中、奥間に寄って会った時、奥間ヌルは、いつか首里に行きたいと言っていた。…

2-107.屋嘉比のお婆(改訂決定稿)

今帰仁(なきじん)をあとにした馬天(ばてぃん)ヌルの一行は運天泊(うんてぃんどぅまい)に行って、勢理客(じっちゃく)ヌルに歓迎された。 勢理客ヌルは、馬天ヌルがヤンバル(琉球北部)のウタキ(御嶽)巡りをしている事を知っていて、首を長くして来るのを待…

2-106.ヤンバルのウタキ巡り(改訂決定稿)

ウタキ(御嶽)巡りの旅に出た馬天(ばてぃん)ヌルの一行は、山田グスクに行く途中、読谷山(ゆんたんじゃ)の喜名(きなー)で東松田(あがりまちだ)ヌルと会っていた。 馬天ヌルが東松田ヌルと会うのは十四年振りだった。馬天ヌルは再会を喜び、ササがガーラダマ…

2-105.小松の中将(改訂決定稿)

琉球の交易船の警護をしなければならないと言って、あやは上関(かみのせき)に帰って行った。 ササ(馬天若ヌル)たちはあやにお礼を言って別れ、京都へと向かった。 六月三十日、ササたちは京都に着いて、いつものように高橋殿の屋敷に入った。男はだめよと…

2-104.アキシノ(改訂決定稿)

無事に坊津(ぼうのつ)に着いた交易船から降りた佐敷ヌルとササたちは、『一文字屋』の船に乗り換えて博多に向かった。サイムンタルー(早田左衛門太郎)の船から降りたサタルー、ウニタル、シングルーも一文字屋の船に移った。 六月の七日、博多に着くと、『…

2-103.送別の宴(改訂決定稿)

佐敷ヌルとササ(馬天若ヌル)が安須森(あしむい)の山頂で、神様の声を聞いていた頃、馬天(ばてぃん)ヌルは首里(すい)グスクの『キーヌウチ』で、麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)とカミーと一緒にお祈りを捧げていた。突然、カミーが悲鳴のような大声を…

2-102.安須森(改訂決定稿)

去年の十一月、ヤンバル(琉球北部)に旅だったウニタキ(三星大親)の旅芸人たちは、浦添(うらしい)、中グスク、北谷(ちゃたん)、越来(ぐいく)、勝連(かちりん)、安慶名(あぎなー)、伊波(いーふぁ)、山田と各城下でお芝居を演じ、周辺の村々(しまじま)でも…

2-101.悲しみの連鎖(改訂決定稿)

中山王(ちゅうさんおう)(思紹)の孫、チューマチと山北王(さんほくおう)(攀安知)の娘、マナビーの婚礼は大成功に終わった。 サハチ(中山王世子、島添大里按司)たちが会同館(かいどうかん)でお祝いの宴(うたげ)をやっていた時、開放された首里(すい)グス…

2-100.華麗なる御婚礼(改訂決定稿)

二月九日、首里(すい)グスクのお祭り(うまちー)が行なわれた。 首里に滞在していたイトたちは勿論の事、与那原(ゆなばる)で武術修行をしていたスヒター(ジャワの王女)たちも戻って来て、お祭りを楽しんだ。 お芝居は『鎮西八郎為朝(ちんじーはちるーたみと…

2-99.ミナミの海(改訂決定稿)

慈恩禅師(じおんぜんじ)と別れて、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに帰るとサスカサが(島添大里ヌル)待っていた。 ナツと話をしていたサスカサは、サハチ(中山王世子、島添大里按司)を見ると急に目をつり上げて、「あたしよりも年下の娘を側室に迎え…

2-98.ジャワの船(改訂決定稿)

十二月の末、ヤマトゥ(日本)に行った交易船が無事に帰国した。交易船はジャワ(インドネシア)の船を連れて来た。 突然のジャワの船の来訪で、浮島(那覇)も首里(すい)も大忙しとなった。 サハチ(中山王世子、島添大里按司)を始め、首里の者たちは『ジ…

2-97.大聖寺(改訂決定稿)

与那原(ゆなばる)グスクのお祭り(うまちー)が無事に終わった。 サハチ(中山王世子、島添大里按司)は忙しくて行けなかったが、慈恩禅師(じおんぜんじ)が越来(ぐいく)ヌルと一緒に来たらしい。佐敷ヌルの話だと、二人は夫婦のように仲がよかったという。意外…

2-96.奄美大島のクユー一族(改訂決定稿)

中山王(ちゅうさんおう)(思紹)と山北王(さんほくおう)(攀安知)の同盟を決めるために、今帰仁(なきじん)に来たンマムイ(兼グスク按司)を見送った本部(むとぅぶ)のテーラー(瀬底之子)は、その三日後、奄美大島(あまみうふしま)攻めの大将として二百人…

2-95.新宮の十郎(改訂決定稿)

熊野の本宮(ほんぐう)から新宮(しんぐう)までは船だった。淀川下りのようにお酒を飲みながら、のんびりできるとササたちは思っていたが、山の中の川はそんな甘くはなかった。 淀川のような大きな船ではなく、四、五人乗りの小さな舟で、曲がりくねった川を下…

2-94.熊野へ(改訂決定稿)

三姉妹の船が浮島(那覇)に着いた頃、ヤマトゥ(日本)に行ったササ(馬天若ヌル)たちは、京都から熊野に向かっていた。 五月十四日に与論島(ゆんぬじま)から交易船に乗り込んだササたちが、薩摩の坊津(ぼうのつ)に着いたのは五月三十日だった。坊津で交易…

2-93.鉄炮(改訂決定稿)

側室のハルはほとんど佐敷ヌルの屋敷に入り浸りで、二人の侍女も佐敷ヌルを尊敬したようで、真剣に武当拳(ウーダンけん)を習っていた。 石屋のクムンは職人たちと一緒に、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクの石垣を見て回って修繕していた。職人の中に腕の…

2-92.ハルが来た(改訂決定稿)

六月になってウニタキ(三星大親)が与論島(ゆんぬじま)から帰って来た。「麦屋(いんじゃ)ヌルは馬天(ばてぃん)ヌルに預けたけど、会って来たか」とサハチ(中山王世子、島添大里按司)が聞くと、ウニタキはうなづいた。「慈恩禅師(じおんぜんじ)殿がヤンバ…

2-91.三王同盟(改訂決定稿)

ンマムイ(兼グスク按司)が山北王(さんほくおう)(攀安知)の書状を持って今帰仁(なきじん)から帰って来たのは、伊是名島(いぢぃなじま)の戦(いくさ)が終わった三日後だった。 山北王の書状には同盟のための条件が三つ書いてあった。 一、伊平屋島(いひゃじ…

2-90.伊是名島攻防戦(改訂決定稿)

サハチ(中山王世子、島添大里按司)とウニタキ(三星大親)が与論島(ゆんぬじま)の海に潜ってカマンタ(エイ)捕りに熱中している頃、伊是名島(いぢぃなじま)では戦(いくさ)が始まっていた。 伊是名親方(いぢぃなうやかた)が伊是名島に、田名親方(だなうや…

2-89.ユンヌのお祭り(改訂決定稿)

サハチ(中山王世子、島添大里按司)、ササ(馬天若ヌル)、シンシン(杏杏)、ナナの四人は勝連(かちりん)グスクに行き、翌日、勝連ヌル(ウニタキの姉)を連れて、勝連の船に乗って与論島(ゆんぬじま)に向かった。 勝連グスクは朝鮮(チョソン)に行く船の準…