長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2019-01-01から1年間の記事一覧

2-208.国頭御殿(改訂決定稿)

山北王(さんほくおう)(攀安知)と会って、今帰仁(なきじん)の城下を見物したあと、リーポー姫(永楽帝の娘)たちは山北王が用意した船に乗って国頭(くんじゃん)グスクに行った。案内してくれたのは山北王の側室のクンだった。 クンは二人の子供を産んだが、…

2-207.大三島の伊予津姫(改訂決定稿)

奄美大島(あまみうふしま)を直撃して北上した台風は、九州に上陸して九州を縦断すると、周防(すおう)の国(山口県)、出雲(いづも)の国(島根県)を通って日本海に出て勢力を弱めた。ササ(運玉森ヌル)たちがいる京都にも大雨は降ったが、被害が出るほどで…

2-206.天罰(改訂決定稿)

ミャーク(宮古島)の船が無事にミャークに着いたあと、ミャークの沖を台風が通過して北上して行った。 ユンヌ姫は琉球に帰ると、サハチ(中山王世子、島添大里按司)にミャークの船の無事の帰島と台風が近づいている事を知らせた。サハチは山南王(さんなん…

2-205.王女たちの旅の空(改訂決定稿)

ヒューガ(日向大親)の船に乗ったリーポー姫(永楽帝の娘)たち一行は、夕方には無事に名護(なぐ)に到着した。 リーポー姫(麗宝公主)はチウヨンフォン(丘永鋒)、チャイシャン(柴山)、ツイイー(崔毅)、リーシュン(李迅)、ヂュディ(朱笛)の六人。…

2-204.重陽の宴(改訂決定稿)

九月九日、ササ(運玉森ヌル)たちが生駒山(いこまやま)で菊酒を飲みながら重陽(ちょうよう)の節句を祝っていた頃、琉球の首里(すい)グスクでは冊封使(さっぷーし)たちを呼んで、『重陽の宴(うたげ)』が行なわれていた。 重陽とは陽の数字(奇数)が重なる事…

2-203.大物主(改訂決定稿)

大粟(おおあわ)神社から鮎喰川(あくいがわ)を舟で下って八倉比売(やくらひめ)神社に戻ったササは、アイラ姫から父親のサルヒコの事を聞こうと思ったのに、アイラ姫はユンヌ姫と一緒に琉球に行ってしまっていた。幸いに『トヨウケ姫』がアキシノと一緒に残っ…

2-202.八倉姫と大冝津姫(改訂決定稿)

高橋殿と御台所(みだいどころ)様(将軍義持の妻、日野栄子)のお陰で、『浜の南宮』の秘宝である『宝珠』をササたちは拝むことができた。「神功皇后(じんぐうこうごう)様が豊浦(とゆら)の津(下関市長府)で海中より得られた如意宝珠(にょいほうじゅ)でござ…

2-201.真名井御前(改訂決定稿)

京都に着いたササ(運玉森ヌル)たちは、三日後の夕方、『箕面(みのお)の大滝』に来ていた。大滝の下に役行者(えんのぎょうじゃ)が創建した瀧安寺(りゅうあんじ)があった。弁才天堂(べんざいてんどう)を中心に多くの僧坊が建ち並んでいて、大勢の山伏がいた…

2-200.瀬織津姫(改訂決定稿)

精進湖(しょうじこ)のほとりで焚き火を囲んで、ササ(運玉森ヌル)たちは『瀬織津姫(せおりつひめ)』に出会えた感謝の気持ちを込めて酒盛りを始めた。 酒盛りの前に、ササは富士山の大噴火で犠牲になった人たち、森の中で暮らしていた生き物たちのために『鎮…

2-199.満月(改訂決定稿)

八月十五日、首里(すい)グスクで冊封使(さっぷーし)を迎えて『中秋(ちゅうしゅう)の宴(うたげ)』が催され、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクでは『十五夜(じゅうぐや)の宴』が催された。中秋の宴は馬天(ばてぃん)ヌルと安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌ…

2-198.他魯毎の冊封(改訂決定稿)

慈恩寺(じおんじ)が変わっていた。 前回、サハチ(中山王世子、島添大里按司)が慈恩寺に来たのは六月の初めで、クマラパたちを連れて来た時だった。二か月足らずのうちに、慈恩寺の隣りに、『南島庵』というお寺ができていて、南の島から来たヌルたちと首里…

2-197.リーポー姫(改訂決定稿)

『安須森参詣(あしむいさんけい)』から帰って来た安須森ヌル(先代佐敷ヌル)は、「ヤンバル(琉球北部)のヌルたちもみんな参加してくれたのよ」と嬉しそうにサハチ(中山王世子、島添大里按司)に言った。「金武(きん)ヌルも来てくれたわ」「金武ヌル?」…

2-196.奥間のミワ(改訂決定稿)

六月十二日、ササ(運玉森ヌル)たちは愛洲(あいす)ジルーの船に乗ってヤマトゥ(日本)に行った。 島添大里(しましいうふざとぅ)グスクで安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)の帰国祝いとタキドゥン按司たちの歓迎の宴(うたげ)を開いた次の日の夕方、ササ…

2-195.サミガー大主の小刀(改訂決定稿)

知念(ちにん)グスクに泊まったササ(運玉森ヌル)たちは翌日、ヒューガ(日向大親)に会うために浮島(那覇)に向かった。うまい具合にヒューガは水軍のサムレー屋敷にいた。与那覇勢頭(ゆなぱしず)とフシマ按司が来ていて、ヒューガは絵図を広げて南の島の…

2-194.玉グスク(改訂決定稿)

那覇館(なーふぁかん)での歓迎の宴(うたげ)の翌日、南の島(ふぇーぬしま)の人たちとトンド王国(マニラ)のアンアン(安安)たちは安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)とササ(運玉森ヌル)たちの先導で、隊列を組んで首里(すい)グスクへと行進した。沿道…

2-193.ササの帰国(改訂決定稿)

進貢船(しんくんしん)を送り出した二日後、首里(すい)の武術道場で『武科挙(ぶかきょ)』が行なわれた。 明国(みんこく)の制度を真似して、サムレーになりたい若者は誰でも受ける事ができた。大勢の若者たちが集まって来て、武術の試合を行ない、勝ち残った百…

2-192.尚巴志の進貢(改訂決定稿)

土砂降りだった雨もやんで、佐敷グスクではお祭り(うまちー)が始まっていた。 馬天浜(ばてぃんはま)からシンゴ(早田新五郎)たちも来ていて、山グスクに行っていたルクルジルー(早田六郎次郎)たちもマウシ(山田之子)と一緒に来ていた。 大きなお腹をし…

2-191.キキャ姫の遊戯(ゆけ)(改訂決定稿)

奄美大島(あまみうふしま)の万屋(まにや)に着いた湧川大主(わくがーうふぬし)は機嫌がよかった。 琉球に来ていた鬼界島(ききゃじま)(喜界島)の船を永良部島(いらぶじま)(沖永良部島)沖で沈める事に成功していた。これで敵の兵力は五十人は減っただろう。…